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昨今、「人的資本」という言葉を耳にする機会が多くなりました。コロナ禍などの予測困難な変化の時代において企業が持続的な価値向上を実現していくためには、人材に対する新たな視点と取り組みが鍵となります。
ここでは、人的資本や人的資本経営とは何か、また世界的な人的資本開示の動きを踏まえつつ、2022年8月に公表された「人的資本可視化指針」の内容とどのような取り組みが求められているのかを解説します。
人的資本とは、人材マネジメントにおける人材の捉え方です。
これまで人材は人的「資源 」と捉えることが多く「管理」するというマネジメントのあり方でした。しかし、昨今の変化が激しい時代においては、人材を「資本」と捉え、人材の成長を通じた「価値創造」であり、人材に投じる資金はその「投資」であると考えるマネジメントが注目されています。
人的資本経営は、人材(=資本)の価値を最大限に引き出し、企業価値の向上につなげる経営のあり方を言います。
現在起きている市場環境の構造変化、デジタル化の進展、価値観の多様化や人生100年時代の到来など、企業は人材戦略においての変革が求められています。
例えば、ダイバーシティ&インクルージョンの推進、リスキル、働き方の多様化といった取り組みなどの人的資本経営を行うことで、持続的な企業価値の向上やレジリエンスを高めることにつながります。
企業においてはこれまで、人的資本への投資は短期的な利益や資本効率から見て後回しにされるなどの傾向がありました。しかし昨今では、人的資本への投資は、企業の成長や価値向上につながる戦略投資であるという認識が広がりつつあります。
また、投資家にとっても、企業価値向上につながるESGが重視されるようになり、「人的資本の開示」への関心も高まっています。
リーマンショック以降、ESG投資家により環境保護や人的資本が重視されるようになりました。
欧州においては、日本より早く「人的資本」に関する動きがあり、欧州連合では、2017年から企業に「人的資本の開示」を義務化しています。
2018年12月にはスイス・ジュネーブに拠点を置く国際標準機構(ISO)が、人的資本マネジメント領域で世界初となる国際標準規格「ISO30414」を策定しました。
米国でも2020年8月には米国証券取引委員会が米国上場企業に「人的資本の開示」を義務づけるなど、人的資本に関する潮流が高まっています。
このような海外の動向を受けて、日本でも「人的資本開示」への動きが活発化しました。
2021年からは、「人的資本経営と開示の強化」をテーマにした内閣総理大臣の直轄プロジェクトが設置され、以降もこの流れは継続しています。
早ければ2023年3月の有価証券報告書から人的資本の開示が義務化される見通しです(2022年9月現在)。
その前段として、2020年9月には経済産業省より「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する報告書~人材版伊藤レポート」、2022年5月には「人的資本経営の実現に向けた検討会報告書~人材版伊藤レポート2.0~」が公表されました。
次いで2022年8月には、『非財務情報を企業開示の枠組みの中で可視化することで、株主との意思疎通の手段の強化を図るべく、人的資本など非財務情報についての価値を評価する方法について検討を行い、企業経営の参考となる指針をまとめる』ことを目的にした「非財務情報可視化研究会」から「人的資本可視化指針」が公示されました。
引用:非財務情報可視化研究会の検討状況│内閣官房-新しい資本主義実現本部事務局 経済産業省-経済産業政策局 (PDF)
人的資本の開示に関する基準はさまざまで、国際標準化機構(ISO)、世界経済フォーラム(WEF)、米国サステナビリティ会計基準審査会(SASB)、グローバル・レポーティング・イニシアティブ(GRI)、米国証券取引委員会(SEC)、欧州委員会(EC)などがあります。
「人的資本可視化指針」ではそれらを整理し、次のような開示事項の例が記載されています。
例えば、有価証券報告書にサスティナビリティ情報の記述欄が新設され、ダイバーシティの中の男女間の給与格差、女性管理職比率、男性の育児休業取得率の開示が2023年度に(2023年3月決算)義務化される予定です。
このように、一部義務化が予定されているものもありますが、掲載しているすべての項目の開示が必要なわけではありません。
これらの開示事項には、投資家からの評価を得る「価値向上」という観点と、ネガティブな評価を回避する「リスクマネジメント」に関する観点が含まれることもあります。
企業が開示する事項を選択する場合は、どのようなニーズに対して開示するのかを明確にする必要があります。
ここでは、人的資本可視化指針の内容をもとに人的資本を開示していく際の準備のポイントをピックアップします。
まずは、「基盤・体制確立」が求められます。その際は、経営者が自ら積極的にコミットすることが不可欠です。取締役会のような経営層での議論に加えて、従業員と対話し共感を深めることや、活動が部門ごとでバラバラとならないように部門間の連携なども重要とされています。
また、可視化における戦略を構築していきます。その際は価値協創ガイダンス・IIRCフレームワークなどを活用することが推奨されています。ここでポイントとなるのは、自社の経営戦略に沿った人的資本への投資や、人材戦略の統合的ストーリーを構築できているかです。
統合的ストーリーを示す際には、投資家にとっても馴染みやすい4つの要素(ガバナンス、戦略、リスク管理、指標と目標)に沿った開示をすることが効果的とされています。
企業の経営戦略や人材戦略は、独自性のある取り組みや目標・指標などの開示を検討する必要があります。一方、投資家や評価機関に対して、企業間の比較分析ができる開示事項を検討するなど、独自性と比較可能性の開示項目をバランスよく組み合わせることが求められています。
なお、有価証券報告書においては人材育成や社内環境整備の方針を開示し、合わせて方針に関する目標と指標、進捗状況などを開示していきましょう。
また、任意開示として中長期経営計画やサスティナビリティレポートなども戦略的に活用していくのもひとつの方法です。
ここでは、実際に人的資本の開示を行っている日本企業の事例を紹介します。
有価証券報告書において、経営方針、経営環境及び対処すべき課題として人権の尊重と労働慣行を挙げ、人権デューデリジェンスのプロセスを構築し、そのサステナビリティ目標と実績を開示しています。
また、「人財アトラクションと育成」「ダイバーシティ&インクルージョン」「従業員の健康」「労働安全衛生」について有価証券報告書で開示しています。
「人財アトラクションと育成」では海外重要ポジションに占める現地化比率などについて、「ダイバーシティ&インクルージョン」では女性管理職比率・障がい者雇用率について、「労働安全衛生」ではOSH国際規格認証取得拠点数や推進人材配置について目標と実績を開示しています。
経営方針と人的資本経営に関する可視化を独自性と企業間分析比較が可能な2つの視点で開示されています。
経営方針、経営環境及び対処すべき課題などに関して、SDGsに絡めて開示し、自社が事業を通じた社会課題解決に整理して開示しています。
「ダイバーシティ&インクルージョン」においては、SDGsの「目標5 ジェンダー平等を実現しよう」「 目標8 働きがいも経済成長も」「目標10 人や国の不平等をなくそう」をを関連付け、社会からの要請と経営戦略を明示、評価指標としてRFGエンゲージメントスコア、女性管理職比率の目標について開示しています。実績については、グローバル・日本における全体の実績との比較も行っています。
人的資本という言葉が急速に浸透し、企業への開示も義務化されつつあります。無形資産が企業の評価に直結する時代だからこそ、企業側は独自性や企業比較分析をわかりやすく開示し、自社の人材への投資が付加価値創造につながる源泉であることを伝えていくことが必要不可欠な時代だといえるでしょう。